第5回 先達の足跡 『日興證券 社長就任』
株式会社経営戦略合同事務所 名誉顧問 岩崎 琢弥

 当時の四大証券会社(野村、大和、山一、日興)から証券業を代表して日本証券業協会連合会に出向し、「株の理屈」を学び証券業の発展に寄与。その後取締役に就任そして…。

私が日興證券の社長に就任したのは昭和61年、58歳の時でした。
今回はその経緯をお話しさせて頂きます。さかのぼること5年前、当時私は常務として勤務するかたわら、地方での講演やテレビへの出演も行っていました。当時キャスター、今は代議士である小池百合子氏と番組で共演したことはよく覚えています。そんな仕事をしているとマスコミとの関係も自然とでき、記者などが何かあると私のところへ聞きに来るといったことも多々ありました。
3年後に専務になり、引受本部長として法人のファイナンス、M&A等も行うようになり、その間に法人の人脈が非常に増えました。
その頃、世間では金融に関わる出来事が相次ぎ、ニュースとして取り上げられることもしばしばでした。 そんな中、当時自民党の幹事長をされていた方に呼ばれ、銀行の不良債権について相談をされたことがあります。当時の与党として「不良債権の額は15兆円と認識しているが、君はどう思う?」と訊かれ、「我々の見解では50兆円はある。今まさに日本の経済危機である」と答えた記憶があります。そういった場所でもおじずにものを言うところは昔から変わらず、逆にはっきりともの言うことが相手に好印象を与えたと今にして思うことがあります。
このように、私は私なりに実直に仕事をしていたのですが、日興證券内では次期社長人事をめぐる話が取り沙汰されていました。
そんな折、突然、社長から「次期社長を引き受けてくれないか」と言われたのです。
まさか自分に話が来るとは夢にも思っていなかったので、私にはその資格も能力もない、と断っていました。しかし、依頼は一度きりで終わらず、依頼されては断るというやりとりが何回か繰り返されていました。
断り続けていた私ですが、ある朝出社しようと自宅で準備をしていると、社長から電話がありました。その内容はこうです。「最近、金融に関わるニュースが世間を騒がせているでしょう、野村證券も社長を交代したばかりとあってマスコミも日興證券の次の社長は誰にするのか非常に敏感で、毎日毎日、取材を受けて夜も眠れないくらい大変なんだよ」。
ここまで言われてしまうと、さすがにいたしかたないと思い、その日出社し、社長就任を承諾しました。
こうして社長に就任することになったのですが、社長になって初めて気づいたことや苦労したことが多々あります。それについては、次回詳しくお話しさせて頂きます。
つづく