ベンチャー経営者なら やりたいことを、 とことんやっちゃえ!
株式会社ダイヤモンドダイニング 代表取締役社長 松村 厚久

パーキンソン病告白の衝撃、1000 店舗・売上高 1000 億円の目標は不変

「やりたいこと、やっちゃったほうが人生は楽しい。やっちゃうよ」──。これは、ダイヤモンドダイニングの創業者である松村厚久社長が取材時に笑いながら発した言葉である。

「わらやき屋」「九州熱中屋」「バグース」「今井屋本店」など85業態の飲食店を、東京都心部を中心に直営で269店舗(2015年10月末現在)も展開するダイヤモンドダイニングは、今年7月7日に東証2部市場から東証1部市場へ指定変更となった。実は、同社は東証2部への上場を2014年11月に果たしたばかり。わずか8カ月間での指定変更は、東証始まって以来の〝最速最短〟の記録を塗り替えたとして注目された。

そして、今年の夏に松村社長は、もう一つ別なことでも注目された。小松成美氏の著書『熱狂宣言』のなかで、01年の第1号店となる銀座の「ヴァンパイアカフェ」のオープンから、今回の東証1部上場までの軌跡とともに、自身が若年性パーキンソン病にかかっていることを明らかにしたのだ。

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「パーキンソン病の初期症状を自覚したのは38歳になった05年春でした。首が痛く固まるので、少し早い四十肩かと思って指圧や鍼治療を受けたりしていました。翌年の夏に帰省した際に、左手をだらりと下げて、腕を振ることのできない姿に驚いた母親から、病院に行って検査するようにいわれました。すると医師から、『パーキンソン病かもしれません』と告げられたのです。このときは、体の不調の原因がわかって、ほっとした気持ちでした」

パーキンソン病は中脳の黒質ドパミン神経細胞が減少して起こる病気で、手足のふるえ、筋肉のこわばり、動作の緩慢などの症状が現れる。50歳以上で起こることが多いのだが、なかには松村社長のように40歳以下で起こる人もいて、こうした場合は若年性パーキンソン病と呼ばれる。進行すると自分一人では日常生活を送れなくなり、悪化すると寝たきりになることもある病気なのだ。グループ全体で800人を超える社員を率いる松村社長は、不安な気持ちに襲われることはないのか。

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「絶望するようなことはありません。むしろ、仕事でも、病気でも、自分が負けてしまうことが許せない気持ちが高まっています。そこで『100店舗100業態』という誰もが無理だと思うような目標を実現させ、いまでは『1000店舗・売上高1000億円』という新たな目標に挑戦しています。しかし、体は目に見えて動かくなってきていて、上場企業の経営者という責任ある立場だけに、いつか公表しなくてはと考えていました。ただし、多くの方々に公平にお伝えしなくてはいけません。それには本での公表がベストと判断したのです」

飲食業で新境地を切り拓いていくことこそが、松村社長の「やりたいこと」なのだろう。人生は1回限り。本当にやりたいことをやって、成功を摑みたい。病気になったからといって、諦めるという選択肢は松村社長にはない。なぜなら、やりたいことをとことんやっていれば、人生はより楽しくなってくるのだから。そんな松村社長が飲食業と出会ったのは、大学時代の4年間におよぶサイゼリアでのアルバイトだったという。

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「当時はまだ20店舗くらいの規模で、創業者の正垣泰彦会長がお店に来て、フライパンを振っていたこともあります。すごい繁盛店で朝から晩まで行列が絶えませんでした。そして、お客さまは『美味しかったよ』『また来るよ』とアルバイトの私にまで声をかけてくださるのです。すると、天にも昇る気持ちになって、アルバイトを始めて数カ月後には飲食業が天職だと思うようになっていました」

大学卒業後、将来の飲食店経営に備えて自分の世界を広げるため、松村社長は日拓エンタープライズに入社して、六本木のディスコで「黒服」を務める。4、5年もすると100人ものアルバイトを束ねていたという。満を持して95年に独立し、日焼けサロン「マーメイド」を成功させる。そして、先に紹介したように、34歳だった01年に松村社長は念願の自分の飲食店の開業にこぎつけたのだ。

その「ヴァンパイアカフェ」は、27歳のときに新婚旅行で訪れた米国・オーランドのテーマパークにある「世界一怖いお化け屋敷」を彷彿とさせる、ゴージャスでおどろおどろしく、そして目と舌で楽しめる「コンセプト・レストラン」だった。それ以降、松村社長は「迷宮の国のアリス」「竹取百物語」「三年ぶた蔵」「オペラハウスの魔法使い」など、1店舗ごとに全く違った業態の店を作り上げていく「マルチコンセプト(個店)戦略」を貫いた。そして、10年10月に「100店舗100業態」を実現した時点で、松村社長自身が開発した業態は50を数えたというのだから驚く。

資金やノウハウの提供などで緩やかな連携、100人の経営者を育てるという新たな夢

「『ヴァンパイアカフェ』を立ち上げた年の大晦日の忘年会で、5年以内に3店舗まで増やして会社運営にしたいと社員に話しました。もしも、それより前にタイムマシンが目の前に現れて、『いま乗ったら、3店舗になった5年後に連れて行きますよ』といわれ、実際にそうしていたら、3店舗の経営で満足して終わっていたでしょう。結局、自分の可能性を信じられないからそうなるのです。私が会社運営にしたかったのは、さらに店舗増やすため。3店舗は単なる通過点であり、限界を決めることなく、自分が信じた道を突き進むことが何よりも大切なのです」

そう語る松村社長の店舗開発のポイントは、まず「立地」なのだという。街にはそれぞれその街の独自の顔がある。そこで、その街でどういった業態の店が繁盛していて、どのような業態が求められているのかを、徹底的に調査をしていく。様々なルートから物件情報が日々入ってくるが、このプロセスを外して成功はあり得ないのだ。

もちろん、すべてに松村社長がタッチするわけではなく、いまではそのほとんどを、企画制作本部の河内哲也本部長をはじめ社内の〝目利き〟に任せている。そして、立地とコンセプトについて最終的なゴーサインを出した後は、店長や料理長の候補者たちからなるチームに具体的な店づくりを委ねる。そうした権限委譲のシステムがあるからこそ、269もの店舗展開が可能なのだ。

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しかし、松村社長は「人を『信頼』してしまってはダメ。あくまでも人は『信用』する関係であるべきだと考えています」という。ここに松村社長の人材活用の妙があるような気がしてならない。信頼するということは、文字通り「相手を信じて頼る」ということ。頼った側には「甘え」「おもねり」が生まれる。万が一、頼ったことが実現されなければ、「反感」や「恨み」が残るだろう。

しかし、「信じて用いる」のであれば、当事者としての主体性がキープされる。また、何かあったときの最終責任は、信じて用いた自分にあることになる。部下の立場からすれば、一方的に信頼されると、その重圧に絶え切れなくなることもあるだろう。逆に信用されるのであれば、自分の力を思う存分、伸び伸びと発揮しやすくなる。14年3月の「第9回 S1サーバーグランプリ」の個人部門で、「わらわき屋六本木」の笠松美樹子店長が全国№1になったのも、そうした企業風土がベースにあったからなのではないか。

また、松村社長のモットーにしているのが「遊びの中に仕事があり、仕事の中に遊びがある」だ。松村社長の交友範囲は広く、「牛角」を運営するレインズインターナショナルの創業者で、その後ダイニングイノベーションを設立した兄貴と尊敬する西山知義社長、ハワイアンカフェ&ダイニングの「ALOHA TABLE」などを展開するゼットンの稲本健一社長、APカンパニー米山久社長ら、通常だとライバル関係にある同業他社の経営者たちとも頻繁に会食をともにしている。そうやって友好関係を温めながら、お互いに切磋琢磨しているのだ。

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13年4月にオープンした六本木のラウンジカフェ「1967」の店づくりにあたっては、クリエイティブディレクターにその稲本社長を指名し、インテリアデザイナーには世界的に有名な森田恭通氏を迎えた。松村社長が口を出したのは、店のキャッチコピーの「もっと遊べ、大人たち!!」の一言だけ。裃を脱いだ遊びのなかで肝胆相照らしてきた仲だからこそ、当たり前のように信用することができるのだろう。いまでは毎晩大勢のセレブが訪れ、シャンパンの「モエ・エ・シャンドン」が日本で一番多く抜栓される大繁盛店になっている。

また、11年の東日本大震災直後の苦境を乗り切っていくなかで、松村社長はマルチコンセプト戦略から「マッチブランド戦略」へシフト。わらやき屋や九州熱中屋のような中価格帯の居酒屋で多店舗展開を図る一方で、先ほどの「1967」をはじめ「焼き鳥 しの田」といった高価格帯のフラッグシップ店では厳選立地での出店にこだわる。そうやって幅広い層の人々にファンになってもらうことで、景気変動に左右されにくい企業体質へと脱皮しつつある。

そうした結果、ダイヤモンドダイニングの16年2月期の売上高は300億6800万円(前年同期比15.2%増)が予想されている。実は飲食業界には「300億円限界説」があり、ブランドの陳腐化などにより200億円台で停滞してしまうケースが多いというのが定説になっている。しかし、松村社長は「その限界説を打ち破り、次なる目標の『1000店舗・売上高1000億円』の達成に向けて、確かな手ごたえを感じています。ここから一気にいきますよ」と力強く語る。

松村社長にはもう一つ夢があって、それは「100人の経営者」を育てることだ。「1億円渡すから100店舗つくってみろ」といって09年に子会社「ゴールデンマジック」として独立させた山本勇太社長は、九州熱中屋のフランチャイズ化を推進するなどして、すでに96店舗を展開し、松村社長の期待に見事に応えている。「今後は、3、4店舗前後で足踏みしてしまっている飲食業でのアーリーベンチャーに対して、マジョリティーにこだわることなく出資し、同時に店舗開発などのノウハウなども提供することで幅広く支援して、ゆるやかな連携を取りながら、お互いに発展していきたい」と松村社長はいう。

経営者に悩みは付き物だ。立ちあがってから間もないベンチャー企業の経営者だと、なおさらのこと。しかし、何か悩みに直面したのなら、それが「やりたいこと」なのか、そうでないのかを真剣に問うべきだろう。そして、もしも本当に「やりたいこと」であるのなら、とことん「やっちゃった」ほうが松村社長のように人生は楽しくなるはず。冒頭に紹介した松村社長の言葉は、実は若き起業家に対する応援の言葉でもあるのだ。

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